Эссе.
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中学生のころ、仲良しだった友達がいた。マイケル・ジャクソンのファンになり、一緒にコンサート観に行ったり、お互いの家を泊まり合いしながら、ずっとマイケルの話をしていた。「フォ~♪」と、スリラーの物真似をしたり、アメリカへ無茶苦茶に電話をかけて、「Are you Michael Jackson?」と、いつかマイケルに繋がることを信じて、イタズラ電話をしていた。食べ盛りの頃だったので、一緒に大阪へ遊びに行ったときなど、お好み焼き・トンペイ焼き・たこ焼き・最後の締めにビックパフェと、お腹がピンとはち切れそうになるまで、食べ続けたりした。二人で一緒にいるときは、そんなたわいもないことの連続で、キャピキャピと、はしゃいでいることが楽しかった。学校のマラソン大会で、私が気合を入れすぎて途中で倒れたとき、テントで目を開けた瞬間、友達の真丸い顔が見えて、家までボチボチと送ってくれたこともあった。その友達は、どこかピュアな所があって、優しい性格だった。
友達とは、中学校を卒業して別々の学校に行くことになり、音沙汰がなくなってしまった。いつでも心の中では、「元気にしてるかな?」と思っていた。高校に馴染めなかったとき、「友達が傍にいてくれたらなぁ」と思っていた頃もあった。それでも、大きな川が二つにも三つにも分かれるように、私たちは離れ離れになった。
10年後、ふいに友達から葉書が届いた。突然の合流だった。「元気?また会おう」たった一言の走り書きが、10年という月日の長さを表していたようだった。字は全く変わってなくて、思わず「昔のまんまだな」と微笑んでしまう。親の実家がある岡山に住んでいるそうだった。私もそのころは、大阪へ引越ししており、岡山まで会いに行った。駅の改札で、笑っている顔が見えてくる。大きく手を振って、10年ぶりの再会を喜んだ。「何してた?」「元気?」どこから話したらいいのか分からないはずだったのに、あべこべに伝えていたら、私たちを包む雰囲気は10年前に戻ったみたいだった。きっとお互いに変わったことも多いけど、二人合わせて作られる空気が、フンワリと昔のままだったので、ホッとした。友達には、もう赤ちゃんがいて、鼻と目がお母さんそっくりだったので、中学生の頃を思い出しながら、そっと抱き上げた。こちらをジッと見て、赤ちゃんは人懐っこく「ケケッ」と笑っている。
それから、また4年が経ち、今度は友達が大阪へ遊びに来た。大阪では、美味しいものを食べて、後は喫茶店めぐり。お気に入りのお店に一緒に行きたかった。京都へも出掛けた。四条河原町で降りた瞬間、京都独特の匂いが伝わってくる。まるで昔吹いてた風が、今でも流れているような感じだ。「どすえ~。」と、ナンチャッテ京都弁を使いながら、時代を通り抜ける。東山通りから丸山公園、そして二年坂に通りかかったとき、雨がシトシトと降ってきた。アスファルトの地面がだんだんと濃い色に変わっていき、突然「ザバァー」とスコールが降ってきた。しばらく、二年坂の喫茶店で雨宿りすることにした。雨のメロディをBGMに、ホットコーヒーを飲みながら友達の横顔を見る。中学生の頃と比べたら、お互いに、いいお姉さんになったものだ。でも、昔にはない表情で、「パチッ」とウィンクし合うのも、不思議とそこから懐かしい気持ちが漂ってくるものである。
人生っていいなと思う。人と別れたり、出会ったり、そしてまた出会って、二年坂でホットコーヒーを飲んでいる。決められごとではないのに、まるで組み立てられているかのように、ススッと気持ちの赴くまま時間は進んでいく。雨がやむ頃には、また別れるだろう。そして、またいつか会えるときを楽しみに、平凡な毎日を生きている気がする。
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